物事には必ず原因があって結果がある。
リハビリテーションを遂行する時には必ず原因を探る。うまく歩けない、疲れやすい、ずっと痛い、などなどそれら全てには必ず原因があって、結果うまく歩けない、疲れやすい、ずっと痛いが続いてしまう。
その結果の原因を探ることで、リハビリで改善できるところを探してアプローチするっていう仕事なんですが、でもこれってどんな仕事でも同じなんですよね。
僕の父は現役の自転車屋さんなのですが、自転車の修理も原因を探って悪い所を修理してっていう職人仕事だし、営業マンだって良い結果を出すために原因を探って、そこを改善させての繰り返し。
物作りの方達は、良いものを作るために原因を探りながら試作を繰り返す。結果良い物ができたり失敗作ができたり。そこにはきっとひらめきという偶然もあるのだけれど、ひらめくってことは積み重ねの結果があるわけで…。やっぱりこれも原因と結果なんでしょうね。試行錯誤が常に出来るヒトは試行錯誤が出来るだけの材料が備わっているんだと思います。
良い仕事とは「原因と結果を常に探求する精神」なんだと思います。
話は飛びますが、ヒトが生きる意味って一度は考えるテーマだと思うんですが…
これに関しては意味なんて無いって思っちゃうんです。私は^^;
ヒトが進化してきたことには、環境に適応するためという壮大な原因(というか理由)はあると思います。が、現在でもヒトが生きているという結果自体に理由は無いのかなと。
理由が無いということは、自分で勝手に決めていいってことだと思っています。
私にとっては、「死ぬまで楽しく」ってことが生きている意味です笑
みなさんはどうですか?^ ^
辛いことや悲しいことも勿論あるけれど、それでも日々楽しく感じられていればそれでいいやって思います。
楽しくないって感じた時は、きっと心が疲れているとき。心が疲れているときって何をしても面白く感じないんですよね。
にんげんだもの…
そういう時もありますわってことで、こういう時はあまり原因とか結果とか難しいことは考えない。
いつも難しいこと考えてると人生面白くないから、たまには何も考えない時間も大切^ ^
仕事をする上では原因と結果はものすごく大切で積み重ねの努力が大切だけれど、ヒトが生きるっていうことに関してはあまり難しく考えなくていいんじゃない?疲れちゃいますよ〜^ ^
っていう人生のつぶやき。